素直な敬意を大事にしたい

小林愛美さんがショパン・コンクールのセミファイナルを通過してファイナルへ進んだとのことです。

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3次予選の映像はYouTubeで見れます。2時間30分あたりからが小林さんの演奏ですね。少し前に小林愛美さんという凄いピアニストがいるという話しを知ってから時々youtubeで彼女の演奏を聞いてたので嬉しいです。本選でも納得いく演奏してもらえたら最高ですね。

ショパン・コンクールの本選に残るような方々は皆さん天才ですね。ショパンコンクールまでいかなくても、大きなホールでお金を払って聞くようなコンサートだと、演奏者は技巧も表現力も非凡です。

今のご時世、平凡な演奏を聴く方が難しいです。音源も溢れてます。なかなか凡庸な演奏に出会わないです。つっかえつっかえの演奏なんて聴く機会はまずないですね。それはそれで楽しいのですけれど、演奏への素直な驚きや敬意を感じにくくなってるようにも思います。なにしろハイレベルなものが一杯ですから。

ちょっと上手く言葉にできないのですが、良いモノに囲まれすぎてるが故に、受け取る側の感性が鈍ってしまう(研ぎ澄まされるのではない)というのは悲しいことです。良いワインを飲んでしまった故にカジュアルなワインの美味しさを感じられなくなるなら、それは、なかなか不幸なんじゃないかと思うのです。良いモノを知ってるからこそ1点光る部分に気づいたりすることも出来るはずだと思うんですね。

今年のショパン・コンクールは不作だと言われていて1位が無いのでは(過去の受賞者に匹敵する演奏じゃないと1位無しになる)という話しがあるようです。コンクールですから、演奏は厳しい批評に晒されるわけですね。もちろんコンクールですし、上質なものをさらに高見引き上げるという仕事は必要です。厳しい批評が必要なのは分かります。でもまぁ、私はどうも、批評やレビューというのが好きになれません。「批評が好きになれない」という言い回しそれ自体が「批評への批評」なので、説得力に欠けるんですけれど。

何が言いたいのか微妙になってきましたが、セミ・ファイナルの演奏をしかめ面で評価するよりは、気持ちよく聞いてる方が楽しいなあという程度のことが言いたいだけです。

批評する時であっても、演奏や演奏者への敬意を欠いたような物言いは避けるべきだろうなと思うんです。思わず納得させられる批評というのは、対象への敬意が常にあるようにも思います。ただ単に攻撃的なだけのレビューにならないようにするには、多分大事なのは敬意なんですよね。私もすぐに敬意を忘れちゃうタイプなんで気を付けなければいけませんが。

せっかくなんで小林愛美さんが子供の頃の演奏を置いておきます。まあ、あれですよね、天才ですよね。